投票とか行ったことないし

市政に関する要望や厳しい意見を聴くことがありますが、では選挙のときはどういう考え方で行動したのかな、と不思議に思います。

え?投票とか行ったことないし。

とはっきりおっしゃる方もいます。

更にびっくりするのは、批判している内容と投票行動が正反対で、しかも、その食い違いに何の疑問も持っていない場合とか。

あなたが投票した政治家がやっていることを批判するなら、ご本人に伝えた上で、次の投票の機会に反映すればいいのに。と言っても、そうしない有権者も多く、次も同じ投票行動をとる。

政治家の活動を見ていないか、自分の一票と政治との関連を小さく捉えているかなのでしょう。しかし、それでは政治家は何を頑張ればいいのかわからなくなってしまいます。

というより、わかりきっています。有権者の投票行動に合わせて行動するのが普通です。票が集まるところに力も集中します。

何をどういうふうに頑張ればいいのかを示しているのは有権者です。意図しているかどうかに関わらず。

お祭りに行って顔を売れば票が取れるならそうしますし、1票しかない1人の人よりも、100票動かせる有力者がいるならそちらを意識します。SNSで自分の考えや政治に関することを発信するよりも、ランチや式典に出席した写真が喜ばれるならそうします。ホームページを開設して政策を伝えるよりも、直接会いにいって握手すれば票が入るならそちらが優先です。当選した後も、公共の利益(多くの人にとって間接的で小さな利益)のための活動は評価されず、一部の人にとって直接的で大きな利益(公共の不利益)のほうが票に繋がるならそういう活動に傾きがちです。投票に来ない人は相手にしません。

そんなことには一切構わずに、自分の政策を1人でも多くの人に届けて選んでもらおうと頑張ってみても、選挙では当選しないことがあります。それでも別の機会にまた立候補してくれるかというと、生活がありますので別の仕事を始めてしまったりします。結果、有権者は選択肢を失います。

選挙の際に、投票したくなるような候補者が出てくれないとしたら、それは有権者全体の責任です。

ひとつは、全体としてそういう候補者を支えられるような力を持っていないから、立候補してもらえない。大きな志と能力がある人であっても、有権者は政策や能力など見ていないということが、これまでの選挙の結果から明らかだとしたら、その人は選挙で自分の考えを訴えてみようと思わないでしょう。(やりたいことをやるために多少自分の思いと反することであっても選挙は選挙と割り切ってそのための活動をし、当選してから志を実現しよう、と頑張り続けている人もいます)

もうひとつは、自分が立候補しようというリスクをとらない。当たり前かもしれません。リスクが大きすぎます。自分の顔と名前を晒して周囲を巻き込んで人生を賭けるなんて、恐ろしいことです。なので、不満がある人は出るべきだ、出られないなら文句を言う資格はない、などという極端なことを言うつもりはありません。ただ、自分も被選挙権を持った当事者なのだということをわかってほしいです。

有権者はお客様ではありません。だから自分の思いにぴったりの選択肢がないことは、投票に行かない理由になりません。

政治は有権者の鏡ですので、政治に不満があるときはまず自分を顧みなければなりません。自分の私的な要望が実現しないとしても、それは単なるお門違いですが。

次世代の資産を食いつぶしながら、今さえ、自分さえよいという政治が行われているなら、有権者も投票の際に広い視野で未来のことまで考えた選択をしていないということなのだと思います。

票をめぐって不当なことが起きるとしたら、自分の1票をいい加減に扱っている有権者がたくさんいるということです。全ての票が誰の言いなりにもならない独立した1票であるならば、取引など成立しません。

そういうわけですので、ただ投票率があがればいいというものでもないと思っています。

自分で考えて行動する有権者が1人でも増えてくれたらいいな。

それは、国政でも同じですね。

11月1日は亀岡市長選挙です。

亀岡市長選挙投票率

亀岡市議会議員選挙投票率

 

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