知らなかったでは済まされない

スクリーンショット 2015-05-01 17.29.45近年は、返すよりも多く借りている亀岡市の借金。

将来負担比率146.5%(25年度)です。財政の勉強会で、他の自治体関係者に、3桁!?と驚かれました。
京都府下では3桁のところは珍しくありませんが、だから別に構わない、ということではありません。

そして、お金がないからといって、勝手に節約できない経費は増えていっています。

スクリーンショット 2015-05-01 17.35.50スクリーンショット 2015-05-01 17.41.52職員数を削減したりしている・・・のですが、お金やモノがあっても働いてくれる職員がいなければ、それをサービスに変えることはできません。

なので、安易に人件費減らせ、というのは市民サービスが低下するだけ。
人件費減らせ、サービスは今まで通り供給しろ、というのはムリというものです。

そして、扶助費。高齢者が増え、景気低迷が続き、医療費や生活保護費も伸び続けています。少子高齢化対策にもお金がかかります。

 

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人口が減少し、高齢化率は進展するなか、収入もこの先、大きく増えるとは思えません。

入ってくるお金のほとんどは、すでに使い道が決まってしまっていて、自由に使えるお金がありません。

となると、新しい事業もできません。では、支出を見直すしかない、という発想になるのではないかと思います。私の考え方は特に過激でも何でもなくて、ごく平凡なものです。

私はスタジアムで亀岡の未来に光が射すと思えるだけの材料を持っていませんが、議会は多数決ですのでそこに投資することが決まりました。

多数決でそう決まったということは、多数の議員の後ろには票を託した有権者が多数おられ、投票に行かなかった半数ほどの有権者は投票に行く市民の選択にお任せしたのですから、この現状は大多数の市民がお任せした通りであるということです。

これに投資すべきか否かについては議会でも意見が分かれましたが、やるのであれば大きな費用がかかるのはどなたも否定しないでしょう。

スクリーンショット 2015-05-01 18.14.36今年度のスタジアム関連経費は、写真の通りです。これを見て、全部が亀岡市の負担ではないことがわかりますね。国や府も亀岡市のためにお金を使ってくれるのだから頑張ろうと思う方もいらっしゃるでしょう。国・府・市のお金を合わせて、全体で50億かかると言われています。

私は相変わらず、市民であり府民であり国民である者として、この事業には疑問を感じています。しかし、議会が認めたのですから。

貧すれば鈍するともいいますし、ケチケチして中途半端な事業にしてはいけません。同じ場所を何度も測ってコピーを納品させるとか意味不明の支出は許されませんが、必要な金は必要ですし、市民総掛かりで盛り上げて、必ず意味のある事業にしなければならないのです。やるのであれば。

スタジアム効果で、亀岡市の経済が上向く・・・としても、それはすぐに効果がでるものではありません。

では、貯金も底をつきかけている中で何を我慢するか。

この議論は、避けられません。

目を背けたい現実ですが、亀岡市の財政状況を伝える資料には以前から、

「今後は、このような基金に依存した財政運営も限界に近づいてきています。」

貯金を取り崩してしのぐのは、これ以上ムリ、と書かれているのです。

同じく、

今後の収支不足額を基金から賄うとしても期間中に基金は枯渇することになり、その後は赤字決算になることも想定されます。この状況が続けば、地方財政健全化法で定める早期健全化団体へと転落し、財政健全化計画の策定が義務付けられ、さらなる職員数の削減や人件費のカット等により内部的経費を大幅に削減せざるを得ないとともに、市単独での施策を実施することが難しくなり、市民サービスは著しく低下することとなります。

そのような状況になれば、あれか、これか、何を守るか、という議論なしに、バッサリと市独自で頑張ってきた事業はなくなってしまいます。そうなる前に、なんとかしなくてはいけません。そのときになって、知らなかったでは済まされません。議会では、この情報を持っているのです。市のホームページ上にこの情報は掲載されていますので、見ようとすれば市民も見られます。

だけど、投票に行く有権者のみなさんは、こんな議論をして、その結果何かが削られることになったら怒るだろうなあ・・・と思われているのかもしれません。
総論賛成でも、自分に関わりのある事業が影響を受けるとなれば、スタジアムには興味ないし、やりたいならやればいい、と思って黙っていた人たちも、怒りだすかもしれません。
投票に行く有権者の不興を買ったら、次の議席を確保できないかもしれません。
それでも、亀岡市の健全な発展のために、と頑張ったところで、支持してくれる有権者が増えるとも限りません。

でも、スタジアムのためだけではありません。スタジアムがなくても厳しい状況なのですから、いずれは必要な見直しだったのです。
スタジアムのせいでお金がなくなる・・・というのではなくて、スタジアムを核として未来を描いていく選択をした結果、お金の使い道の取捨選択の際にはスタジアム以外の部分で整理をするという議論になるのは当然だということです。有権者が選んだ政治の結果はよいも悪いも、全ては自分たちの生活に直結していくのです。

自分が票を託した議員が、将来のための議論を始めようとしたときにも、手を離さないでいただきたいと思います。

今まで通りのサービスを享受して、大きな投資もして、他にも欲しいものがあって、でも、今まで以上に負担しない、我慢しない、ということはあり得ないのはわかりきっています。

亀岡市の健全な発展のために、市民も現実に目を向けなくてはなりません。

4 comments

  1. スジシマドジョウ より:

    タイトルの「(市民が)知らなかったでは済まされない」には少し違和感を感じます。
    地方自治体の運営責任は市と市議会にあります。市民は選挙という形で参政し、自治体運営や市長及び議員報酬のために税金を納め、健全な運営を託しています。問題は、負託された市長と市議会が仮に間違った判断や、自治体に損失を与えたとき、その責任はどのように負うのかですが、現行法令や議会基本条例にもそれは規程されていない、罰則もありません。たぶん。
    あるのは、議員の民への説明責任です。したがって少なくとも「知らなかったで済まされない」のは市民ではなく、そのようにした議員であり議会です。
    一党一派にとらわれず、市民の負託に応える市民感覚の議員であり続けられることを期待します。

  2. 酒井 あきこ より:

    おっしゃるとおりです。

    「議員、議会が」知らなかったでは済まされないのです。しかし、3月の予算審査の際に、どんなに問題提起しても、「執行部が大丈夫なように考えて提案してくれているのだから・・・」ということで、議論ができないままに可決されました。

    いまの大多数の議員は大多数の有権者が選び、あるいは白紙委任した選良です。「市民が」知らなかったでは済まされないのは、自分が選んだ議員が何をしているか、です。

    それを伝えるのは議員の仕事ではありますが、もしそこが十分でないとしたら、市民が危機感を持って、自分が票を託した議員に自らアクセスしていくしかないのではないかと思っています。

    このようなコストは、議会が機能していれば市民が負う必要はありません。
    しかし、それも有権者の選択です。

    市長も議員も責任を取れません。うまくいかなかったからといって、政治家を辞めてもらっても意味がありません。全て、市民生活に跳ね返ってきます。

    ですから、問題があっても、それが議論されていないこの状況下では、任せたあとも目を離さない、手を離さないことを、大多数の議員を選んだ有権者にお願いしたいです。夢ある事業(?)の推進や有権者の要望の実現以外にも、市の未来のためには厳しく不快な議論が必要です。それを自分が選んだ議員に促し、支えてほしいと思います。でなければ、議論しようという形になりません。ならなければ、議論なしに進んでしまいます。

    当然、私自身も職責を果たすよう努めますし、市政課題について広く伝えていこうと思いますが、市民の利益を考えるなら、私ひとりでできることを精一杯やっています、というだけでは覚束ないと感じています。

    有権者に対して厚かましいお願いかもしれませんが、私のためではなく、自分たちのためにどうか考えていただきたいと思っています。

  3. スジシマドジョウ より:

    執行部の案にただ追随するだけ。それができるのは、極論すれば、責任をとらなくてもいいからなのでしょう。そのような行動は、自ら議会および議員を不要だと言っていることと同じ。費用対効果で考えれば、今の亀岡市予算で一番無駄なのは、議員報酬かもしれませんね。さらに市職員に無用の圧力と無駄な仕事を強いていることも問題です。
    実は亀岡市に限ったことではなく多くの自治体で同じことが言えるのかもしれません。いっそ、必要な調査費は保証しつつ、議員報酬は一般公務員と同額程度にしてはと思います。金額の問題ではなく、そうすることで、意識や市政を見る立ち位置が変わるのではないかと思います。議員というものが、昔ながらの名士、地位、権力というとらえ方や意識を変えなければいけないということです。
    形ばかりの議会基本条例や議会改革など何の意味もありません。
    今回の投票率が全てを物語っています。市民ではなく、まず議会がその示す意味を真剣に考える時代にあることを認識すべきです。

  4. 酒井 あきこ より:

    調査費をどうするか、報酬、定数をどうするか。
    それを決めるのは今の議員で構成する議会での多数決です。
    なので、改選前に少しだけ定数を削減してお茶を濁すということになりがちです。
    そして、次の選挙に示される選択肢も代わり映えがしませんので、多少の入れ替わりはあっても中身がなかなか変えられない・・・これでは有権者も関心が持てないのは仕方がないかもしれません。
    関心を持たれなければ、改革への外圧もありません。
    旧来通りのことをやり続けて、何も変わろうとしなくても、有権者の半分が投票に来なくても、選挙で危うい思いをすることもなく上位当選し続ける方々が核となって多数派を形成します。
    議論をしない議会では、多数派の意思がそのまま議会の意思になってしまいます。
    議会の果たすべき役割が果たされない状況は、政治家と有権者、どちらにも責任があります。
    選択肢がないならば被選挙権を行使してみるべきだ、という話もありますが、そこまでの大きな決心をする市民が数人立ち上がったところで、有権者が無関心では変えられません。統一選でもそのことを実感させられました。
    市政に限ったことではなく、ひとりひとりが大人の責任として自治に関わっていく姿勢をもたなければ、本当に心配な時代になってきました。
    どうあるべきかという理想はあっても、それを語るだけでは変えられませんので、試行錯誤しているところです。
    理想に近づくために働きかける先は1つではなく、方法も様々試してみなければならないと感じています。微力ながら行動に移していこうと思っています。

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